アメリカを叩く人がよくいうのが、アメリカは正義の国家ではない! とか差別国家だ! とか現実はひどいとかであるが、そんなの「当たり前」じゃない? むしろ、そうではないと思っていたことの方が怖い

 アメリカを叩く人がよくいうのが、アメリカは正義の国家ではない! とか差別国家だ! とか現実はひどいとかであるが、そんなの「当たり前」じゃない? むしろ、そうではないと思っていたことの方が怖い。

 アメリカを正義だと思っているのかい? と。

 そして現状、右翼でさえもそう思っているから、実は酷い国で正義なんてない! がアメリカの真実! になるのだ。
 真実もクソもない。当たり前の話、である。

 あれだけ中国は悪といいつつ、アメリカが正義だと思えるのが不思議だ。だってやってること「ほぼ同じ」なんだから

 この思い込みは日本人が世界一強いと思う

 日本人はアメリカを正義だと本気で思っているフシがある。

 そもそもそこがおかしいし、当のアメリカ人でもインテリ層はそんなこと思ってない。一番アメリカを崇拝しているのは日本人なのではないか? とすら思う。

 たとえば宇宙開発。

 欧米とひとくくりにするEUでさえ、アメリカが一手に宇宙開発を握るのを快く思っていない。
 なので独自開発している。宇宙はこれからの戦争で大事だからだ。もちろんロシアも中国も、だ。韓国がどうしても自前で衛星を打ち上げたいのはそういうことだし、北朝鮮も頑張ったのは、まあそういうことなのだ。

 ISSにおとなしくロシアが参加しているのはISSの母艦はそもそもロシア製だからだし、現在はソユーズがないとまともに宇宙に行けないんだからロシア側にキャスティングボードがある。
 アメリカはこれを快く思っておらず、次のステーションはアメリカ製にするつもりだし、スペースXを参画させたりしている。

 国際社会への貢献だとか、国際協力とかお花畑なのは日本だけだ。

 しかし、この、これからの戦争のキモともいえる宇宙開発において、JAXANASAの下請け、子会社状態だし、日本政府はよろこんでGPS補助衛星を飛ばしている。
 アホとしかいいようがない。

 他の国はいざ戦争になったとき、アメリカがGPS衛星を使って何かやるかもしれないと考えているので、そんなことはしない。

 ソ連製のグロナス、中国製の北斗、EU製のガリレオなどが存在する。これらは民間利用もGPS同様なされているが、いざ戦争になった場合軍事利用を目的としている。そもそもGPSもそういうもので、ソ連はこれに対抗しグロナスを打ち上げた。

 ちなみに、独自路線を採るインドはアメリカでもEUでもなく、ロシアのグロナスに協力している。
 こういうと、グロナスは21世紀になってからGPSガリレオと仕様を揃えて協調している! と頭ハッピー右翼はいうだろう。

 でもね? 自由に変えられるんだよ。信号パターンなんて。衛星の管理者はさ。

 戦争になったら、即変更できるようにどこも作り込んでいるはずだし、本当に協調しているなら日本みたいに独自システムなんかせずGPSの子分をやればいい。
 でもしない。理由ははっきりしている。

 実際、第三次台湾海峡危機ではアメリカ軍はGPSを遮断し、中国軍は打撃を受けた。これが中国の北斗計画を産む。

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 北斗システムは全地球測位システムとしては最新のもののため、最も精度がいいとされている。

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 台湾有事だって、なんでアメリカのエゴに加担するんだよという話である。

 いうべきことはアメリカへの支援ではなく「日本を巻き込むな」であろう

 アメリカの真実本はよくあるが、まあ、どれも当たり前の話であって、そもそもそれが当り前じゃないと読者が思っていると想定していることが逆に怖い

 そもそも、中国が自身の国益のために動いているように、アメリカもまたアメリカの国益で動いている。これは原則だ

 ゆえに、日本を守ってくれるのは日本が有益である間にすぎない。いくら奉仕しても、献身的に貢いでも、心の底から崇拝しても、「うーん。中国を支持したほうが儲かる」と判断したとたん、ポイされるのだ。

 実際、そうやって台湾は捨てられたのだ(常任理事国から追い出され、米軍は撤退し、中華民国という名を国際社会で大手を振って名乗れなくなった)。
 しかし、一回捨てておきながら、台湾に肩入れしたら都合がいいとなれば肩入れする(そうやって戦争の火種を世界中にばらまき、自分で鎮火している。イランもイラクベトナムも朝鮮も、アフガンもぜーんぶ着火したのはアメリカだ)。

 第三次台湾海峡危機だって、起こる二年前には李登輝をぞんざいに扱い台湾は国じゃないからとビザを出さず台湾人の反感を買っておきながら、二年後には手のひらを返し、おだてて英雄視しビザも発行した。
 これに対し、中国が変節がすぎるとして抗議したことから始まっている


 アメリカはそういう国なのだ。
 優柔不断で自己中心の国だ。中国と同じなのである

 数年で、あ、もう日本要らんとされたと思ったら、またすぐ、ずっともだよセックスしよといってくる。DV旦那みたいなもんだ。まあ、DV旦那はモテるからね。馬鹿な女に。

SHOGUNみたいなのが受けているからって喜んでいるのは馬鹿みたいだ

 SHOGUNみたいなのが受けているからって喜んでいるのは馬鹿みたいだ。
 まだ日本はそんなイメージなの・・・って。

 オーバーウォッチを始めてプレイしたときに思った。

 アジアキャラにはディーヴァという韓国人とメイという中国人、日本はニンジャとサムライ。日本だけ2キャラだが、結局ニンジャサムラーイゲイーシャなんである・・・。そしてサイボーグニンジャと黒澤映画に出てきそうなサムラーイで、全然リアル日本人感がない

 一方、ディーヴァは現代韓国を反映していてネットゲーマーという設定だし、見た感じ気の強そうな釣り目の韓国美人である。
 もうひとりの中国人メイはいかにも地味なオタクの中国女っぽく、実際学者キャラである。

 日本だけイメージが遅れていてすごく気分が悪かった。
 中国キャラと言えばパンダみたいな時代は終わったんだなって。
 またペルシア人(たぶん)に至ってはよくわからん飛行ジャケットを着ているが、今現在ドローン先進国なので未来予知なんだろうか。

ホンコレ

novtan.hatenablog.com

 アフィブロばっか。

 買った理由だとか、比較だとか、御託をききたいんじゃないわ。それがちゃんとしたユーザーならいいけど、おまえ持ってないだろ? っていうネット上の情報のつぎはぎみたいな情報サイトばかりひっかかる。

 たとえば、一眼レフとミラーレスの違いもわかっていないカメラ比較記事とか。

儒家とサーカスとパン

 儒家の思想は、よく見ると、サーカスとパンっぽい部分がある。
 一種の愚民政策を儒家は推奨している、ということだ。

 そんなばかな! と思うかもしれないが、支配者に有利なようにできており、だからこそ漢王朝は採用したのだ。

 たとえば、年長者や目上を敬えというのはまことに既存の支配者に有利だ。
 また、鬼神乱心を語らないというのも、一見理性的だが、実際は、支配者に対するカウンターとなるものを禁じているに等しい。
 楽や葬式の重視もそうだ。これはエンタメ重視、ととれる

 中国式の葬式は、日本のそれと異なり、皆でどんちゃん騒ぎをする(爆竹をならしたりするあれだ)。
 その方が死者が喜んでくれるという解釈である。
 また、儒家は音楽を重視しているが、これも舞踏や音楽は当時の最大の娯楽である。つまり、式典で音楽を流すというのは、現代風に言えば、国会中にロックバントを呼んで演奏させるようなものだ。

 これを喝破し、排撃せんとしたのが墨家である。

 墨家葬式や音楽を重視することは享楽的であるとし、また、年長者や目上の尊重は不平等である。

 そういった差別的な行いは不利益にしかならないとした。他者を支配し征服することに反対し、博愛主義を取った墨家の人々が激しく儒家を攻撃した(墨家の書物にはしつこく儒家を糾弾する場面が出てくる)のは、ようは、儒家が彼ら墨家の掲げる博愛主義に最も反した存在だったからに他ならない

 一見、儒家は社会秩序を重んじるように見え、法家と似ているように見えるが異なる。

 法家は法の下の平等を志向していたので、自分以外は全部同じという平等思想の持主(皇帝たる自分以外は貴族も乞食も奴隷も同じ)である始皇帝に気に入られた。

 となれば、博愛主義は嫌いかもしれないが、始皇帝儒家の方が墨家よりずっと嫌いだったはずだ。
 だから焚書坑儒した。

 しかしながら、よくよく考えると、この愚民政策を説く、この儒家という一派は支配に大変都合がよく、漢王朝はこれを採用した。
 法家を採用した秦が短命だったのと対照的である。

 法家も墨家も、平等を志向していた。愛か法か、という違いはあったが。

 これらは中国では衰退していく。皇帝権力さえ押さえうる思想だったからだ。儒家にその心配はない。

 愚民にはパンとサーカス(葬式と音楽)を与える。

 目上を敬うことが何よりの美徳と教え込む。

 完璧だ。

 結果儒家は2000年以上に亘り、中華文化圏で猛威を振るい、日本人も四書五経なんぞ知らずとも、儒教的道徳に支配されている。

 逆にキリスト教は愛を説いたことになっているが、「んなわけない」

 そんなにいいものなら、ローマ帝国が国教にするはずがないのだ。
 支配者にとって有益な思想だったから、採用されたのだ。
 実際、あまり支配者に有用性がないとみなされたマニ教は国教になれなかったために、一大勢力を誇ったものの、今や誰も崇拝していない
 ただの一人も、だ!

 国教化したかどうかはその宗教の存続において最重要だ。

 プロテスタントも、反カトリック陣営が採用したから繁栄しているのであって、改革だからでも、正しいからでも、ルターが優れていたからでもない

 当時の王侯貴族がカトリックの締め付けから脱したかった。その大義名分になったにすぎない。

 逆にカトリック権力を擁護し、反カトリック陣営より優位に立とうという勢力も現れるから、宗教戦争になった。
 このときのヨーロッパの宗教闘争は、教義も典礼も関係のない、単なる政治上の争いにすぎない

 国家と宗教は遠いように見え、とても近い。ゾロアスター教が現在も少数派ながら信徒がいるのは、ササーン朝という400年続いた巨大帝国の国教だったからに他ならない。

 キリスト教が愛を説いていない、というのは、貧しいものが幸いとか、売春婦こそ救われるとかキリストがのたまっていることだ。

 彼は当時のユダヤ教が無視していた層に、あなたたちのほうがスゲーんだわ! って言いまくって信者を増やしていったのだ。全然愛ではない

 最終的にこの思想は改竄されていくが、支配者に有利なものになった。
 なぜって?

 おまえらは貧乏だけど、俺(支配者)のせいじゃないし、貧しい方が幸いなんだからいいだろ。はい、搾取

 こういうことだ。

 墨家は人類愛を説いてしまったので、最終的には権力者に滅ぼされたが、偏愛(貧乏こそ幸せ! とかいう欺瞞)を説いたキリスト教は支配者に庇護を受け世界宗教になりあがった

 仏教も最初こそインドの古代国家の国教だったが、仏教はどうしても個人の救済を目的にしており、国家との相性は信徒の多い宗教としては最悪の部類だった。
 なので、インドではほとんど滅んでしまった。

 仏教は伝搬する過程で魔改造され、支配者に有利なものになっていく。
 支配者は寺院を建て、おまえらのために建てたぞ! と言うようになった。

 中国ではさらに簡素化され、なんでもかんでも仏が救済してくれるようになり、日本では念仏さえ唱えればいいことになった
 これで支配者はどんな苛烈な搾取をしても、民衆は念仏を唱え救済を乞えばいいわけで、反乱の可能性が下がる。

 支配者に都合の悪い宗教は必ず滅ぶ
 極論すれば、オウム真理教の最大の罪は日本政府に逆らったことである。

 現代でも、統一教会は日本の権力者とべったりだった。
 だから統一教会はしこたま財産を持っていたし、信者からの搾取は黙認されたし、結局何のお咎めもない等しいまま話が語られなくなった。
 これはかつて統一教会が反共で政府に手を貸したことに端を発する

 なぜ西側世界であれほどアカが恐れられたのか。

 理由は簡単だ。

 私有財産を否定するアカが国内で広まって一番損をするのは支配者である
 実際、ロシア革命で当時のロシアの支配者層はどうなったか?
 皆殺しに等しい目にあったのだ! 金持ちは皆ほとんど財産をなくしたのだ! ああこわい!

 日本人は馬鹿なのでそのことに気づいておらず、支配者にいうことをうのみにし、アカを攻撃した。

 正直、貧乏な庶民にとっては、どっちでもいいことだ

 宗教も同じで、仏教だろうがキリスト教だろうが墨家だろうが、どうでもいいことなのだ。一神教だろうが多神教だろうが、偶像崇拝しようがしまいがどうでもいい。

 ただ、思想は支配者に対する兵器なので、支配者は恐れる。
 思想・信条・宗教はウイルスと同じで、なかなか潰しきらない。

 古代エジプトは紀元前の段階で滅び去り、ギリシャ人の支配下になったが、あいかわらずミイラは製造され、神殿が建立され続けた。
 ローマ人の時代になり、大きな弾圧もあってなお、イシス信仰はむしろローマ人へ広まってしまった。ローマではこういったイシス崇拝やミスラ崇拝が横行しており、この排除目的にキリスト教を採用したかのかもしれない。
 この手法はアフリカ人がよくやっていて、権威ある呪術師たちを追い落とすために白人から王が洗礼を受けたりしたのだ。

 エジプトのミイラづくりや神殿建築が下火になるのは古代王朝が滅んで1000年近く経ってからだ。それくらい長期にわたり、エジプト的宗教は残存した。
 さらに言えば、聖書や四書五経は紀元前の書物だが、今も現代人に重篤な支配を行っていることに異論はないだろう

好きだから大きい方がいい

 私は初音ミクとかあずにゃんとかもう10年以上愛好しているのだが、だいたい巨乳化して嗜んでいる。
 こういうと、まるで「わかっていないやつ」呼ばわりされるが、私は三次元の好きな子で妄想するときもそうしている。

 なぜか?

 私はおっぱい星人なので、好きな子をもっと好きになるためにはやはり大きい方がいいとなるのだ。好きだからこそ、大きくしたい。

本来小さい子を大きくしている一例



なぜ手塚治虫作品のアニメ化はクソばかりなのか?

 端的に言えば、アニメ化する人間の才能が手塚のそれに全く追い付いていないからだ、としか言えない。最高の食材も、料理人が下手では意味がない。そういう話だ。
 手塚作品をまともに映像化できそうなアニメ監督となると非常に限定されてくるが、パヤオは手塚の部下だったくせに、彼を嫌っているし、おおよそアニメ化しそうな連中がいないのだ。これは問題だろう。

 手塚自身がアニメ化したアトムは大ヒットだったわけだから、じゃあ本人がやれよと思わなくもないが、手塚は経営手腕がゴミ(天は彼にお金の才能を一切与えなかったと見える)だったので、続けられなかったのだ!!

 ちなみに、大金を投じて作った(アトムのようなかつかつ予算ではない)西遊記という映画がある(手塚は絵コンテ)のだが、

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 一回見てほしい。ディズニーに匹敵するから。

人生は運 運の正体

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 「運」を「自分以外の意思決定」と読み替えてもいいだろう
 自分の力の及ばない範囲だ。
 
 そう考えると、「自分の成功のために自分自身が関与した(し得た)要素」はとても小さいことがわかるはずだ。

 あの独裁者スターリンですら、彼の意思決定は西側諸国にはまず及ばないのだ。
 影響は与えても、強制的に変えさせることはできない。そうなると、アメリカ大統領が誰になるのかという彼の及ばない領域である「運=アメリカ市民の意思決定」が彼の人生に影響を与える。

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 フルシチョフだって、相手がケネディではないならキューバに核配備できていたかもしれないし、いっそもっと過激な米大統領なら戦争だったかもしれない。

 そう、巨大権力者すら、こう考えれば「運」を排除できない。排除できないばかりか、運に左右されている。

 となれば、権力や名声を得る前の人物にとって「運」は絶大な影響力を及ぼすのは明白だ。

 なぜあなたは成功したのか?

 運が良かったからに他ならない。
 イーロンマスクも運が良かったからに他ならない。
 これを証明するのは簡単で、彼はペイパルで巨万の富を築いたのだが、もし20年後に彼が生まれていたら、他の誰かが同様の決済システムをすでに作っており、彼は一介の市民で生涯を終えただろう。

 つまり、生まれた日という超絶的な運によって彼の成功は左右された

 ナポレオンだって現代に生まれていたら、まあそこそこ優秀な人材で終わった。だって、今のフランスは王政ではないし、世界中どこを探しても皇帝はいない。

 運は何よりも大事だ。
 というか、人生は運で決まるのだ(そんなこと実はみんな薄々気づいている)。
 そもそもさっきいったように無名の人間にとって運がないとそもそもその才能を発揮する「機会」すら与えられないのだから、運を排除して考えることはできない

 ただ成功した人間にはある程度共通している行動がひとつあるのは確かだ。

 「試行回数」を増やしている、ということだ。

 JKローリングが2,3回の出版社持ち込みで、もういいや私は才能ないんだわ、となったら世界で最も売れた小説ハリー・ポッターシリーズは世に出ず、彼女は貧乏なままだっただろう。ただ彼女は持ち込みまくった。
 彼女は「試行回数」をあげたのだ。

 出版されるかどうかなんてのは編集者の偏見と好みによる、つまり、自分の力の及ばない領域=運であるから、とにかく試行回数を増やす、というのは正しい。
 日本でも進撃の巨人はそうだ。最初に持ち込みされた編集者は見る目がなかった。

 そして、JKローリングはシングルマザーという経歴があった。これも彼女の成功を後押ししたといえる。

 これもまた彼女がシングルマザーになったのは運の要素が関与する。

 離婚に至ったのは彼女だけの意思決定ではなく、パートナーの意思決定も関わる。そして、パートナーの意思決定はローリングが決めることができない=運である

 ようは他人の意思はサイコロを振るのと同じなのだ。

 もっとも、身近な人間、知り合い、部下などであれば、サイコロに細工をするように干渉できる。しかし、見ず知らずの人間はそうはいかないし、実際、見ず知らずの人間の方が多い。
 ローリングもポルトガル人のパートナーがそもそもローリングの飲んでいたバーへいかないという選択をした場合、シングルマザーにはならなかったかもしれないのだ。

 これは出あう前なので、パートナーの意思決定は完全にサイコロのそれと同一である。

 神の視点では決定論かもしれないが、個人の視点ではオムニポテントでない以上、「運」でしかない。

 かつて昔の人々は運で人生は決まると思っていた。

 もっとも、運=神の意志であるが、だいたい同じものである。個人の及ばない何か、であるのだから。

 しかし、ニュートン以降、運ではなく計算で結果がわかるはずだという考えが横行し、運ではなく「努力=意図的な干渉」が重要であるとされるようになった
 またそうなると「初期値=才能」「加速度=才能」によってその成功は左右されるという考えも生まれていく。

 昔の人々が思っていたように、彼が成功したのは、「彼が神に選ばれたから=よくわからない何かによって彼は成功した=運」という考え方は少数派になっていく。

 しかし、三体問題があるように、たった三つの天体の運動すら実は正確に計算ができない。カオスでは小さな初期値の違いは巨大な違いを生み出す。二重振り子が有名だ。

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 こんな簡単なことですらニュートン力学は計算できないのだ!

 じゃあ、70億人が作る社会で、個人がどうこうしたから成功したとか、才能があったからとか、そんなもん誤差でしかないではないか!