フィラデルフィアは旧首都にもかかわらず、ゾンビシティーなどと呼ばれ、麻薬中毒者だらけなんだそうだ。
でも、私は映像見る限り、やっぱりアメリカは「豊かな国」だなとしか思えなかった。
「麻薬中毒者さえ」小奇麗な身なりをしている。スマホを弄っている。
中国の農村やアフリカのスラムのような悲壮感はない。
絶望感はあっても、そこに悲壮感がないのは、中国やアフリカの貧民には、その前途へ開かれた道がそもそもなく、生まれたときからそうだったし、死ぬまでもそうであろうなのと違い、アメリカではいくらでも「本来なら」まっとうに生きれたはずだ、と私が思うからだろう(「現代アメリカ」に於ける黒人差別は「甘え」だとすら思う)。彼らの存在を悲しいとは思えないのだ。
自業自得に見える。
だって、豊かで自由な国に生まれたのだから。
自由と成功が国境や戸籍、人種(アメリカには人種差別はあるが民族差別がもっとひどい国はいくらでもある)によって隔たれたりしていないのだ。
ただ異様な光景ではある。麻薬中毒者が白昼堂々町中を歩いているなんて、日本の都市部ではありえない話だ。
まあ、いずれ日本も貧富の差が広がればそうなるだろう。
結局のところ、彼ら(アメリカの麻薬中毒者たち)は麻薬を「買うことができる」。
麻薬はコーヒーと同じで、発展途上国から先進国への輸出品であることが多い。コーヒーの産地の農奴(のような農民)たちは自分たちでコーヒーを飲めることはほとんどない。最悪、その実が何の実かすら理解していない。
つまり、麻薬を常用できる時点で、それは「豊かな証拠」に他ならない。
本当の貧民は麻薬に現実逃避するだけの「金銭」を持ちえない。
だからアメリカがいかに貧富の差は大きいといっても、所詮はアメリカ「国内」の話にすぎないし、中国やナイジェリア、インドのように同じ国なのに世界有数の豊かな都市とごみ溜めのような農村が同居していない(一部のインディアンだけはそうかもしれないが)。
戦後、日本はアメリカの流行が何年か遅れてやってくることを繰り返してきた。
麻薬もそうなるだろう。
なにせ、日本人がいかに貧乏になろうとも、発展途上国に転落することはない。これは西ヨーロッパ諸国がどんなに落ちぶれても途上国にならないのと一緒だ。
なぜか。
西ヨーロッパは世界システムを握っているからだ。みかじめ料でいくらでも儲けられる(アップルやグーグルのプラットフォーマーが暴利をむさぼるシステムと同じ)。だから転落はしない。
日本も同じだ。
二流国になるのは時間の問題(先進国の座から落ちること)だが、途上国にはならない。
ゆえに、日本の貧民たちは麻薬を買うことができる。真に豊かな人間と真に貧乏な人間は麻薬をやらない(一部はするかもしれないが全体としては小さい)。
世界規模で見れば金持、国内では貧民、という層がこれから現実逃避の意味を込めて、麻薬の常習を始めるだろう。
これは遠くない未来だと、私は思っている。
ヘアヌード解禁と同じで、そのうち事実上の解禁状態になるだろう。
アメリカとは人口が違うが、麻薬中毒者で毎年10万近くが死ぬという。日本もそのうち、麻薬で死ぬ人間が自動車事故で死ぬ人間を上回るだろう。
麻薬は「緩慢な自殺」でもある。
できれば死にたい、そういう層は増えているような気がする。