AIが進化すると思っている人がいるが、そもそも「思考する機械」は古いアプローチで、現在のAIは「情報を整理するシステム」でしかない。
だから、膨大なデータを膨大な計算力で処理して学習するというとにかくパワープレイでしかない。
そこなにか何か高尚なシステムがあるわけではない。
試行回数、演算回数だけがすべてだ。
人間の脳はアナログ回路なので、そもそも演算しない。これは大きな違いだ。
こどもの学習を見ていると、ピアノの曲を10回も弾くと覚えてしまう。確かにつたないのだが、もうひける。たった10回で、だ。
現在のAIはそうはならない。
その曲に関するデータをひたすら集めて学習し、完璧に近い演奏をする。
しかし、別の曲は弾けないし、オリジナルをつくるときは、また膨大なデータを参照し、重みづけやランダム性でもって出力する。
こどものオリジナル曲はそうではない。2,3曲しかひけないくても、自由にオリジナルを作れる。
このときのAIの学習量は膨大だ。
人間の一生ではまかなえないほどのデータが処理されるのだ。
将棋AIもそうだろう。
いくら棋士でも100万局を一生で対局できるわけもないが、AIは数億という試行回数をこなす。逆に言えば、それだけやってやっと人間に近づける。
そもそも、現在のパワープレイ型のAIは「近似値」をもとめるデジタルの特性に由来している。
だから、AIはいつか、感動や美を「近似」する。膨大なデータから近似値を割り出す。
そもそもデジタルはすべて近似値でしかない。レコードは連続した値だが、CDは近似値だ。
フイルム写真はドットもピクセルもない。粒子はあるが、量子化できない。
しかし、デジタル写真はピクセルによって管理されており、量子化されている。だから拡大するとドットの集まりでしかない。
しかし、画素数が膨大になると、もはや人体ではそのドットを認識できない。そう。現実と写真はイコールになるのだ。
逆に言えば、フイルム写真はどこまでいっても現実とイコールにならない。
現在のAIは思考ではなく、膨大なデータのパターンマッチで成り立っている。
おそらく、70億人の人間の365日の行動記録、健康記録、脳電位情報、などがあれば、「人間とは何か」をAIは得る。
そう、近似値だ。そして、この「近似値の人間」はもはや人間に非人間と区別することを困難にする。
パワープレイ型のAIはこのように「猿真似」は得意だ。
かつて目指されたAIというのは知能の再現であって、人間の再現ではなかった。
つまり、「人間と同じように思考し、行動し、感情をもつが全く別の存在」というものだ。
そしてこれは膨大なデータから学習するAIは、「人間の近似値」にはなれても、「人間と同等だが別種の知性」にはなれない。
だってそんなものの学習データはないんだから!!
猿真似先がないんだから!!